【衝撃】「仕事なんか生きがいにするな」をわかりやすく解説【要約】

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今回は精神科医である泉谷閑示(かんじ)先生の書かれた「仕事なんか生きがいにするな」を解説していきます。

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いきなりですが、あなたに生きがいはあるりますか?ぱっと答えられない人が多いだろう。自分も少し昔は正直ぼやっと生きてたし、彼女もいないし、打ち込めるものもないし友達もあまりいなかった。仕事もつまらないし、結婚もしてないし、おまけに趣味もない状態だった。

自分が一体何がしたいのかがわからずに仕方なく目の前の仕事をイヤイヤこなしている若者は多いと思う。人間というのは生きる意味が見出せないと生きられない生き物だ。実際に日本では毎年2万人もの人たちが自ら命を絶っている。

今日の記事を最後まで読めばこんな時代を生き抜くための方法を知ることができるだろう。それではさっそく開始する。

豊かだから働く意味を考えてしまう

一つ目は豊かだから働く意味を考えてしまう、だ。

なぜ私たちが生きる意味を考えてしまうのかというと、ある意味満たされているからだ。

大昔の人類は生きるため、食べるため、安全な場所で寝るために必死に働いていたんだ。そんな時は今を生きることに必死で仕事の意味なんて考えなかった。食っていくために必死だったわけだ。

だが今は働かなくても生きていける時代になった。100円以下でパンが売られているし、蛇口の水だって飲める。服だって安い値段で売っているし、生活保護だってある。ある意味私たちは働かなくても死ぬことはなくなったのだ。しかも頑張って働いた所で大して給料は増えないだろう。だったらこのまま楽に生きたい、そう感じる若者が多いのもよく分かるだろう。

そこで思うわけだ、「働かなくても生きていけるのになんで嫌な仕事をしているんだろう?」「働く意味ってなんだろう?」と。しかし世間体から仕事はやめられない、仕事を辞めたら働かざるもの食うべからず、とかナマケモノ、底辺と言われてしまう気がするからな。こんな状態だから仕事の意味を考えてしまうわけだ。

毎日同じことの繰り返しで仕事がつまらない

次は毎日同じことの繰り返しで仕事がつまらないだ。

仕事というのはそもそも非常に楽しいものだったんだ。想像してみてほしい。昔の仕事は狩りだったわけだ。動物を追いかけて移動して武器を持ち、ゆっくりと近づき、獲物を仕留める。そして仕留めた獲物を持ち帰ればみんなが喜んでくれたわけだ。とても刺激的な仕事だったんだ。

しかし今のほとんどの仕事は同じ商品を大量生産するために同じ時間に同じ場所で毎日同じ作業を繰り返すだけの、まるで歯車みたいなつまらない仕事ばかりだ。そこには狩りをする時にあったような創造性もなければ刺激もない。つまり私たちは労働の奴隷になってしまったわけだ。

これもちろん仕事で自分の創造性を発揮して楽しんでいる人もいるがそれは一握りだ。ほとんどの人は仕事を楽しめないだろう。そんな仕事を繰り返していれば当然「なんで生きているんだろう」と感じてしまうわけだ。

時間を有意義なものに使わなければならないと思い込む

次は時間を有意義なものに使わなければならないと思い込むだ。

最近はSNSが普及したことで、自分がボーッとしている間に頑張っている人、仕事をしている人、受験勉強をしている人を目の当たりにするようになった。そのため私たちは今やっていることに価値があるかないかを頭で考えてしまうようになったんだ。

価値があるかないか、価値があるのであればやる。なければやらない。例えば筋トレや勉強仕事は価値があるからする。絵を書いたりゴルフをすることは価値がないからやらない、こんな感じで無価値な趣味をするくらいなら価値のある仕事をするという感じだ。たとえ、絵を描くことやゴルフが心の底から好きだったとしても、プロになるわけじゃないのにこれだけ時間を使っても意味がないと感じてやめてしまう。すると心がわくわくするような体験がどんどん減っていくわけだ。

そして結局価値があるけどつまらない労働ばかりやることになるんだ。特にうつ病の患者にはこういう考え方の人が多い。

無計画に遊ぶ

次は無計画に遊ぶだ。

さっきから言ってきたように、私たちは行動する前に価値があるかどうかを頭で考える癖がついている。だがそれでは無価値だけど心がワクワクする体験が減ってしまう。

そこで価値があることは仕事だけにして、プライベートではあえて無価値だけど心がワクワクすることをしてみるんだ。この時大事なのは準備せずに無計画に遊ぶことだ。そもそも子供の頃は無計画に遊んでいただろう。価値があるとかないとか考えなかっただろ?

さっきも言ったが私たちは頭で価値があるかないかを考えてしまって、心のワクワク感を置き去りにしてしまっている。だから準備せずに無計画に遊んでみるんだ。例えば寄り道してドライブしてみたり、無計画にキャンプに行ってみる。思い立ったら旅行に行って、気が向いたらコンパに行ってみる、なんとなく料理を作ってみる、書店に行く時も特に何を買おかを決めずに行ってみる。こんな風に変に計画なんか立てずに無計画にやってみると新しい気づきがあって心がわくわくしてくるんだ。

すべて計画すると仕事みたいだからな。

作ることは最大の遊びである

次は作ることは最大の遊びである。

哲学者であるニーチェは「成熟とは子供の頃に真剣に遊んだあの気持ちになることである」と言っている。つまりでレゴブロックを夢中になって自由に作っているあの子供の状態を目指せと言っているわけだ。レゴブロックで城を作っている子どもが何で生きるのかなんて考えるか?

ここでポイントなのは自由に何かを作るということだ。作ることは最大の遊びなんだ。なぜなら心がわくわくしながら頭を使っているからだ。つまり心と頭の2つが喜びあっている状態なんだ。例えば音楽に合わせてダンスしたりバンド活動をする人も心がわくわくしながら頭を使っている。わざわざ編み物でマフラーを作るのもプラモデルを作るのも心がわくわくしながら頭を使っている状態だ。

こんな風に自分たちで何かを作って遊ぶことは最大の娯楽なんだ。これがより人生を楽しくする。できればみんなも好奇心のままに何かを作れば、「なんで生きるのか」なんて考えずに済むだろう。

食事を楽しむ

次は食事を楽しむだ。

おいしい食事を食べると誰だって幸せな気分になるだろう。

当たり前だが食事というものは楽しいものだ。もし食事がつまらないのであればそれは人生がつまらないものになっている可能性が高い。偏見かも知れないがブラック企業の社員はコンビニでつまらない食事をしている人が多い。

もし食事をただの栄養補給にしてしまっていると感動は薄れ、人生はすっかり味気のないものになってしまうだろう。ずっと言ってきたことだが、頭で価値があるかないかを考えないことだ。食べ物を栄養として考えて、頭でたべる価値があるかないかを考えると心が置き去りになってしまう。栄養のことだけを考えると食べたいものも食べれなくなるものだ。

だからこそたまには頭で考え過ぎずに素直に食べたいものを食べて、心をわくわくさせてやらなければならない。おいしい食事を食べれば誰だって幸せになれるんだから。

面倒くさくてもやりたければやってみる

最後は面倒くさくてもやりたければやってみるだ。

もう一つ最後に言っておきたいのは、やりたいことがあるとき少し面倒くさくてもやってみることだ。例えば山登りをするとか、旅行みたいなものは準備が必要で確かに面倒だ。

しかし、山登りに気が向いたら多少面倒くさくても富士山に登ってみることだ。登るのがめんどくさいとか言って避けていると、生きるのがめんどくさくなってくるからだ。怖いのはそれ山に登る意味があるのかとか、そんな堅苦しいことは考えずに、ただの壮大な人生の暇つぶしとして遊んでみるのだ。

実際に富士山を登りきったら心地よい達成感とともに、何かやってよかったなと思えるようになる。だから多少面倒くさくてもそこで諦めずに行動することだ。

まとめ

  • 豊かだから働く意味を考えてしまう
  • 毎日同じことの繰り返しで仕事がつまらない
  • 時間を有意義なものに使わなければならないと思い込んでいる。だから人生がつまらない。そこで準備せずに無計画に遊ぶ、何か物を作って遊ぶ、食事を楽しむ。
  • 面倒くさくてもやってみる

確かに僕たちはいつのまにか価値のないことを避けていたみたいだ。それではいけない。価値があるかないかではなく、心をわくわくさせて生きなければならないんだ。周りの人間がそんなことやって何の意味があるのって言ってきても気にするな。

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